夜は星空が美しい、自然豊かな場所に私の家はありました。
近所と言っても、一番近いお宅まで歩いて10分はかかります。
急な上り坂を頑張って歩いてやっと人の家があるのです。
回覧板を渡すのも一苦労。
雪も多い所でしたので、そんな日に長靴を穿いて回覧板を持って行くのは大変でした。
反対に、我が家に回覧板を持ってくる人も一苦労。
いつも、田んぼのあぜ道を歩いて持ってきていました。
そんな懐かしい思い出がふと頭の中に蘇る時、一緒に色んなことを思い出します。
あまり勉強しなかった私ですから、いつも真っ暗になるまで外で遊んでいました。
友達と一緒に遊べる幸せ。
何をするわけでもないのですが、一緒にあちこち歩いては面白い物を見つけたり探検したりと、楽しみは尽きませんでした。
進学と共に実家を離れ、それからはほとんど帰って来ることはありませんでした。
たまに帰ってきた時は、人がどんどん少なくなってきたことを知ります。
回覧板を渡す為に苦労したあの坂を上ってみても、もう誰も住んでいませんし、我が家に回覧板を持ってきてくれていた人ももういません。
同じくらいの年齢のお孫さんがいらっしゃったのですが、家を出て一人暮らしをしていると聞きます。
驚くほど子供の姿はなく、代わりに高齢の人ばかり目立ちます。
田畑ばかりで本当に田舎を思わせるのどかな場所だったのですが、今では草刈りをする人もいないのか荒れているところも少なくありません。
近所とは益々遠くなり、誰も住んでいない一個建てのお宅が数多く見られます。
諸行無常。
そんな言葉が浮かびました。
大好きな焼き芋の思い出
焼き芋の思い出について少し書いてみたい。
昔からさつまいもは大好物である。
天ぷらはいもの天ぷらしか食べなかったし、母の実家に遊びに行くときは、前もって祖母にいもを蒸かしておいてくれるように頼んでおいた。
冬には石油ストーブの上で、干し芋を並べて焼いて食べるのを待ち焦がれていた。
それで、最後の一個を姉に奪われると、しばらく口も聞きたくない程憎んだ。
そんな中でも焼き芋というのは一種格別な存在で、ある意味キング・オブ・芋の食べ方であった。
ただし、それも焼き芋屋さんの焼き芋のことである。
家で焼く芋も大変美味しいが、芋の種類やらその時々の芋の調子なんかによって当たり外れが大きいため、心からこれは美味いというのにあたるのは至難の業、というか偶然である。
けれども焼き芋屋さんはさすがそこはプロであって、どんなものも黄色くてホックリしていて、かつ適度にねっとりしていてまあ美味い。
べらぼうに高いだけのことはある。
そしてまた、新聞紙に包んで渡してくれたから、この駄菓子のようなぞんざいさと、高級菓子のような値段のアンバランスさが子供の心をいたくくすぐったものである。
さすがに私の子供の頃は、おやじが曳いている屋台ではなく、自動車ではあったけれども、荷台部分に不恰好に乗せられた焼き石の入った釜のシルエットは実にレトロなものであった。
なぜか大抵夕方、本当は大きいのが食べたいのに財力がないから小さめのを選んで買った覚えがある。
食べ残して翌日食べようと思うと、不思議なことにぱさぱさに乾いてしまって、ちっとも美味しくなかった。
そんな思い出がある。
けれどもそんな焼き芋やさん、最近ではめっきりみかけなくなってしまった。
時たまおやじの声を録音した呼び声が、ワゴンのスピーカーから流れていたりするけれども、それも一冬に一回か二回見かけるかどうかになってしまった。
寂しいことである。
あのかつての焼き芋売りのおやじたちは、今何をしているのだろう。