家相について昔言われた不快なこと

私は、自分で実際に見たものしか信じないようにしています。
色んなことが耳に入ってきますが、それが本当であるかどうかなんて分かりません。
誰かが勝手に作った話しであったり、勘違いや誤解から生まれた話しであることも少なくないからです。

たぶん、私のことだってどのように伝わっているか分かりません。
本当のことであれば良いのですが、そうではないことが流れている可能性だってあるのです。
それを信じる方もいるかもしれない。
でも、それを怖がっていたり気にしてばかりいたら、本当にやりたいことができなかったり、幸せになれないと今は心の底から思っています。
昔、子供が通っていた幼稚園で知り合った方に、我が家の家相が良くないと言われたことがありました。
なるべく早く治すべきだと真剣に話します。
私はそういった知識はありませんでしたし、当時は人の話しを素直に何でも信じる方でしたから悩みました。
良くないことが起こると言われれば、誰だって心配になってしまうでしょう。
しかし、それほど大きな災いはなく今に至っています。
もうかなり経ちますから、家相の良し悪しの不安はありません。
この先、良いことがあってもたとえ良くないことがあったとしても、それは家相のせいではなくなるべくしてなったのだろうと受け入れられるのです。
建てる時に、住宅メーカーの方と家相の話しもしながら考えて選んで建てた家です。
確かにもっと気を付けるべきこともあるかもしれないのですが、今はこれで良いかなと思っています。
ただ、やはり人様のお宅についてこのようなことを言うのは、如何なものかなとは思っています。

新しい家族

当番日誌を書き上げた小学3年生の頃の私は、急いで帰り支度を始めた。
今日は、お母さんが帰ってくる日だ。
学校の門を飛び出し、家に向かって駆け出した。

閑静な住宅街を抜けると、大きな森林公園がある。
この公園を横切ると、近道になるのだ。

広場では、数人のクラスメイトが遊んでいた。
「今日は遊んで行かないの?」
と誘われたが、断った。
だって、今日は、大事な日だもの。

1週間前の真夜中、突然、私は起こされた。
お父さんとお母さんが、慌ただしく動き回っている。
寝ぼけ眼をこすりながら、なぜ起こされたのか分からず、フワーンとしていたら、お父さんに抱きかかえられて、外に連れ出された。

「靴は?」
「履かなくてもいいよ」

え?
ますます、意味が分らない。
私は靴も履かず、パジャマのままで、車に乗せられた。
間もなく、お母さんも乗り込んできた。

「お母さん、どこへ行くの?」
「病院だよ」
「私、こんな恰好でいいの?」
「車から降りないから、大丈夫だよ」
「お母さんは?お母さんだけ行くの?」

そのとき、大きな荷物を抱えたお父さんが運転席に乗り、
「じゃあ、出発するよ」
と言った。

車は、真夜中の道を走り始めた。
理由は、分からなかったが、お母さんの膝枕と、車の心地よいエンジン音とその振動によって、私は、いつの間にか、睡魔に負けていった。

「朝だよ。起きて」
翌朝、私はお父さんに揺り起こされた。
私は私の布団の中にいた。
昨夜の出来事は夢だったのだろうか。

「ご飯食べて。お父さんが作ったんだぞ」
とお父さんが言った。
食卓には、ご飯、味噌汁、目玉焼きが並んでいた。

「お母さんは?」
「お母さんは、病院」
「どうして?」
「妹が生まれるんだよ」

私は、今、走っている。
木漏れ日がちらちらゆれる森林公園を。

今日はお母さんが赤ちゃんと一緒に帰ってくる日だ。
私に妹ができるのだ。

5月の風が私を押してくれる。
今日から、家族が増え、新しい生活が始まる。