以前は車を使っての移動が多かったのですが、引っ越しするにあたり車を手放しました。
それで今は、公共の乗り物を使っての移動です。
近くのバス停から、うちまで歩いて5,6分ととても近くです。
でも、時々その距離がとても長く感じられます。
持っている荷物が重かったり、家でしなければならないことが多く、時間が惜しいときなどです。
そんな時も、足を交互に動かしながら一歩一歩進まなければなりません。
とてもじれったく感じます。
でも、一歩一歩でも、確実に家に近づくことを励みにとにかく歩きます。
以前なら、車で家の前の駐車場に止めてスッと帰ることができたのに、今はひたすら歩くしかありません。
でも、よく考えると車に乗っていた時も、出かければ、駐車場を探し、駐車場から目的地までは歩かなければなりませんでした。
もっとじれったいのは、渋滞したときです。
前の信号が青になっても進みません。そうこうしているうちに、赤になり、そしてまた青になります。
でもやっぱり全然進みません。
横を歩いて通りすぎる人をうらやましくみていたものです。
そして、約束の時間が近づくにつれ、イライラしだし、これで寿命が3日縮まるなと思ったものです。
それを思えば、歩くのは健康にもいいですし、お金もいりません。
いろいろ考え事もできます。
まわりも見回し、自然を観察できます。
地道に一歩一歩進むことはいいことかもしれません。
特に、今のように生活ペースが速いことに慣れてしまっている今、焦り過ぎているのかもしれません。
今日も一歩一歩、足を動かし続けて、目的地までまたあるきます。
私のバイブルの一つになった出来事
バスや電車でお年寄りに席を譲るって言うのが当たり前だった世の中、今ではお年寄りの方が元気なことが多い様な気がします。
70代超えると、みなさんはつらつと生きていらっしゃいます。
私は自分が70代に入り、こんなに元気に生活を送れているのか想像できません。
先日、私は子どもたちを二人連れて満員のバスに朝乗りこみました。
雨の日でバスの中はすごく滑りやすく、下の2歳の娘がよろよろと体をバスの動きと同じように左右に揺れて今にも転びそうでした。
その姿を見て、座っていたおじいさんが私たちに自分の席を譲ってくれたのです。
私はもうあと2つ先のバス停で降りることを話し、そのお気持ちだけありがたく頂きますと答えました。
それでも、おじいさんは娘を抱っこして席に座らせてくれました。
すると隣に座っていた30代くらいのサラリーマンとばっちり私は目があってしまいました。
上の子はもう5歳なのできちんと自分で立っていられたのですが、やはりお年寄りが譲ってくれた手前、その方ももう一人の子どもの姿を見て何か感じることがあったのかもしれません。
ただ、その方は携帯にイヤフォンをさし入れ、窓の外を眺め始めました。
その瞬間、満員のバスにも関わらず先ほどのおじいさんが激怒したのです。
若い人が同じ若い世代の人を助けないでどうするんだ、と言ったのです。
私自身、本当にこの言葉が耳から離れなくて、これからきっと私が生きていく中で何か判断に困った時のバイブルになりそうです。
今でもそのおじいさんには感謝していて、ありがとうございましたともう一度伝えたいです。