この前、とある居酒屋で飲んでいたら、そのお店の人たちが、早生みかんを食べていた。
赤提灯は、お店の人もフリーダムな気風があって、そこが気が置けなくてよいところ。
「すっぱいね」なんていいながら、みんなでひとつのみかんを分けっこしながら食べていた。
なんだかアットホームでいいな、なんて思うより先に、私もそのみかんが欲しかった。
お酒が入ると何だか身体の中がフレッシュでなくなるような感じがして、果物なんかの新鮮な水分は、身体を浄化してくれそうで欲しくなるのである。
どうでもよい話だが。
そんな、みかんに対する憧れを抱きながらほろ酔いで帰ると、家のテーブルに噂の早生みかんが5、6個無造作に置かれていた。
これはすごいタイミングだ。
我が家は、初物はある程度値が下がってからかう家なのに、今回は早生も早生、スーパー早生である。
一体どうしたというのだろうか。
私はその居酒屋で早生みかんが出回り始めたことを知ったくらいなのに、その当日に我が家にもそんなお宝があるとは。
深く追求するのも何だかこわかったので、私はそのあきらかに甘くもなさそうな、うす黄色ところどころカボスのような深緑のみかんを、さっさと手にとって剥いた。
みかんの香りはいつ嗅いでもよいものだ。
もうじき冬が来るという、四季そのものを思い出させてくれる。
そんな身の引き締まるような香りを嗅ぎながら、早速一房口に入れてみる。
やはりである。
やはり思ったとおり、房が硬くて味が薄くて全然甘くない。
みかん味の水、といったところだ。
でも早生みかんはこれで良いのだ。
房が柔らかくて味が濃くて甘かったら、そんなものは早生みかんではない。
これからこういう季節になりますよ、ということを教えてくれるのがその時期時期の初物というもの。
いわばプロローグである。
そんなみかんをしみじみと食べながら、冬の気配を早くも感じた。
そして、私の持っている服がほとんどタンクトップばかりであることに思い至り、にわかに焦っている、今日この頃である。