結婚が決まった時のありがたい祝福

そう言えば結婚が決まり、近い将来この会社を退職して引越すことが決まった時、多くの方から祝福してもらいました。
こんな時はおかしいもので、嬉しいはずなのになかなか言い出せなかったりするものです。
それは私だけでしょうか?

日頃から、会社などでは自分の事やプライベートな話はしないタイプでした。
変に細かいと言うかきっちりとした所があり、ちゃんと職場と自分の生活とを分けたかったのです。
もちろん、会社の上司には寿退社することを伝えました。
全くそんな風に思っていなかったようで、かなりびっくりされましたがおめでとうと言って頂きました。
また、同じフロアの別の会社の方からもお祝いのプレゼントを頂きました。
「どうりで、最近綺麗になったと思っていたんだ」と言って頂きました。
お掃除をしてくれる方々からも、祝福して頂き、凄く嬉しかったことを覚えています。
こんなにも多くの方々におめでとうを言って頂いて、嫁いできました。
時々、その時のことを思い出すのです。
自分が思い描いていた結婚生活とは全く違いますが、それ以上に幸せを噛みしめながら暮らしています。
今を大切にして行こうと、家族で誓い合いそれが我が家の家訓にもなっています。
結婚て一言で言ったら何?
そんな質問をもしされたら、私はきっと「発見」と答えると思います。
仕事や友達づきあいの中にもそれは確かにあるのですが、結婚することで見えてくるものは比べ物にならないくらい大きい。
良くも悪くも驚きや発見は大きく、結婚したからこそ体験できることばかりです。
結婚を通して、自分自身の中にも色んなものを見つけました。

好きだった人が結婚する話

かつて好きだった人が結婚するという話を風のうわさに聞いた。
忘れるにも忘れられない、今までで一番好きだった人だ。
悲しいふられた思い出がある。
正直今の今でも何でふられたのか良く分からない。

きっとそんな鈍感なところがふられた理由なんだろう。
そんな思い出の人だ。
その結婚する相手の人も、私は知っている。
だからとても複雑な気持ちだ。
今でもその人のことを好きかと言われると、別にそんなことはない。
何年もの間思い出すこともないし、もし顔を合わせたって別にこれといった感情もないだろう。
多少心がざわつくかもしれないが、それだってさざ波程度のかすかなものだ。
それなのに、いざ結婚するときくと無性にどきどきするのである。
別に阻止したいわけでもない、式の最中に「意義あり」なんて言おうなんてことも全くない。
おめでたいと祝福さえしたい気持ちだってあるのだ。
では一体この気持ちはなんなのだろう。
考えてみて、その人は私の青春として化石化していたのだろうと思い至った。
私の心の地層の中でずっと眠っていた人。
ずっと動かない化石だったらば、ずっとなくならないで保存しておける。
それが、いつのまにか生きて動いていたことに驚いたのだ。
それも、その思い出の持ち主であった私の知らないところで、いつの間にか違う人のところに行っていた。
人間なんてのは本当に勝手だな、と思う。
忘れていたものがいざ人手に渡るとなると、急に惜しくなるのだ。
何の感情もないといいながら、これはきっと惜しくなっているのだ。
今回まざまざと、自分の汚い部分を見せ付けられた。
結婚式の当日には、心から祝福してあげよう。
そして、私の思い出にもけりをつけるのだ。