水着がもたらした発見

最後に水着を着たのはいつだろう。
確か高校の授業でも、水泳が必修だったのは2年次までだったから、高2の夏が最後だったろうか。
あれは何の変哲もない学校用の水着だった。

そう言えば、温泉レジャー施設に行った時に水着をレンタルさせられたから、あれが最後か。
あれも、全然可愛くもなんともないへんなつなぎみたいなのだった。
それでももう5年以上前である。

何故私がそんなに水着を着る機会を設けてこなかったかといえば、それは単純に泳ぐ必要がないからである。
というのも、泳げないから泳ぐ必要がないのである。
それでもうずっと、海に行って泳ぐことも、プールにいくこともないのだろうなとぼんやり考えていた。

けれど、最近その考えを覆すことがあった。
たまたま知人と水着を見ることがあってそういう話になったのだが、世の中の人というのは、どうやら泳ぐために海に行くのではないようだ。
(プールに関しては、あれは泳ぐためのものだからまた別次元だが。)

泳げないから海には行かない、と私が言ったら、逆に、泳がないよと驚かれてしまった。
砂浜でたむろしたり、海岸のところで水遊びをしたり、せいぜい浮き輪で浮かんでいる程度らしい。
水の中に顔なんかつけない、ということらしい。

それは大変衝撃的な事実であった。
そういうわけであれば私だって行けたはずだ。
海と言えば絶好の青春の舞台であるのに、何たることか。

私は何回か分の夏の思い出を棒に振った、という訳である。
今からでもまだ間に合うか、時既に遅しではないか、と半ば心配ではあるが、今年こそ遅ればせながら海デビューしてみようか、と考えている次第である…。

暑さも海も好きになった大人の私

暑い太陽の光を、昔は苦手だと思っていた。
もともと寒い季節で育ったこともあるのだが、理由はそれだけではない。
生まれつきなのか、暑い日差しを浴びると、動悸がしてきたり、汗をたくさんかくので気持ち悪くなってしまうのだ。
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同じ親から生まれたと言うのに、姉妹たちは全くそんなことはなく元気に外で走り回っている。
それと反対に私は、暑い日は家の中の一番涼しい場所で本を読んでいた。
そんな私だったから、まさか大人になってから海が好きになるなんて全く思ってもみなかった。
できれば避けたい場所。
水着など絶対に似合うワケもなく、肌を出して水の中に入るなどありえないと思っていた。
ところが、大人になってから私は暑さが苦手なことを克服してしまった。
それどころか、暑い季節は気持ちが良いと感じるし、太陽の光もキライではない。
むしろ、待ち遠しいくらいなのだ。
人の好みは変わるものだなと思った。
海は良い。
本当に身も心も浄化されるようだ。
プールも良いのだが、海には海にしかない何か特別なものがあるような気がする。
「生きている水」
そんな言葉がしっくりくる。
生きている水が恋しくて、海に足が向くのだと思う。
ただ、やっぱり水着を着ることには抵抗がある。
誰も見ていないのは分かっているが、一緒にいる主人が不憫でならない(笑)
離れて歩いてもいいよと、腹を決めて海に繰り出す。
20年前なら、絶対にプライドが許さなかっただろう。
でも今は違う。
子どもが遊ぶ姿を見ながら、私も一緒に水を楽しもうと思っている。
あと少しすれば、子供も好きな人と一緒に来るようになるのだから。