食べ物を食べるということ

鴨肉のロースト、が、忘れられない。
とあるお店で食べた、鴨肉をローストして、グレービーソースであわせたもの。
添え物はマッシュポテトで、しっかりとクリームがきいていてこっくりしているのに、薄めにのばしてあるからすいすいいくらでも食べられる。
それを鴨肉の上にのせてソースを絡めるともう絶品なのだ。

ちなみに、そこで食べた真鯛のカルパッチョも、バジルソースにしっかり塩気がついていて、味も濃くて美味しかった。
思い出すたびものすごくおなかがすいてしまう。
ちなみに、鴨であれば鴨なんばんも鴨汁うどんもみんな好きだ。
多分鴨すきも好きだ。
まだ食べたことはないけれど。
鴨は、鶏肉なのに赤身で、くせのない牛肉みたいだ。
しっかりボリュームがある。
臭みもないから食べやすい。
ああ、また食べたくなってしまった。
けれどもこういう美味しいお肉を食べるたび、他の生き物の命を頂いている、ということが電光のように頭をよぎる。
なに肉が美味しい、とかそういうことを書いたり話したりするたび、そんなことを言う資格があるのだろうか、と思う。
どんなものでも、その一生を奪ってわれわれのエネルギーに変換しようとしているのだから。
動物は、とても残酷なのだ。
他の命を食べないと生きていかれない宿命にある。
肉にしろ野菜にしろ。
この事実は、料理をする人も食べる人も、どちらも抱えていかなければならない業である。
だからこそ、美味しく調理して、残さないで頂かないといけないと思っている。
そして文句を言わず。
それが一番大切なことだと思っている。
それにしても。
やはり今日もお腹がすくのだ。
実に無情なことである。